I’m Not There--Bob Dylanを思う

1960年代の事を忘れられずに生きるノスタルジックなオジさん達も 、アタシの世代の若者達にも、あらゆるミュージシャンに、民衆に、音楽的、精神的、社会的に影響を与えてきた Bob Dylan 。この数年、何本もの彼についての映画もとられている。フォークミュージックも含めて音楽好きのアタシだけど、 何故か最近まで Bob Dylan に興味を持った事がなかった。(イケメンなユダヤ人顔やファッションは昔から大好きだけど。)いつも気怠いと思っていた。あの有名な Knockin’ on Heaven’s Door も、Guns n’ Rosesバージョン方がイカしてると思っていた。(ガンズバージョンは今でも好き。)でも何でしょうね、最近、彼の声や、彼のハーモニカの音色なんかちらっと聞くと気持ちはもう汽車に乗って草原横断。無経験なことを懐かしく思っちゃうような、異様な、不安と希望の入り交じった気持ちになります。都会にいても、田舎にいても、彼の音楽はサウンドトラックになってくれる。
それを考えると、最近公開された Bob Dylan を数人の違うアクター達(いや、男優だけじゃなく女優 Cate Blanchettもボブディラン役をやってるんだ。)が演じた映画、 “I’m not there” っていうタイトルの意味が分かる気がする。人間誰しもに共通するテーマに歌い続けてきた Bob Dylan は、皆が知ってる誰かであって、誰も知らない誰かであって。あるいは彼はアタシであって、アタシは彼であってみたいな。さらに彼は誰でもないんです。なんていうか、Neither Here Nor Thereーーー

何千曲という曲を創ってきた彼の、全然有名じゃないけど、” Nobody ‘cept you” っていう曲の歌詞にいつも泣かされます。君以外に生きる喜びは無い、みたいなロマンチックな内容なのだけど、その一部に、

Used to run in the cemetery
Dance and run and sing when I was a child
And it never seemed strange
Now I just pass mournfully by
That place where the bones of life are piled
I know something has changed
I'm a stranger here and no one sees me
'Cept you, yeah you

とあります。アタシなりに勝手に訳してみると、


子供の頃は墓場を駆け回った
踊って走って歌ったりした
何の違和感も無く

けれど今は
骨と化した生が積もるその場所を
悲しげに通りすがる

何かが変わってしまった

ここでは僕のことを誰も知らない、誰も見てはくれない
君以外は誰も


という感じでしょうか。
この一部が何故か、 Bob Dylan をいう人を強く物語っている気がしてならないんです。
昔は何も感じる事は無かった Bob Dylan の音楽の良さが分かるようになったアタシも、変わったのだな。
ここでも、あそこでもなく。あれでも、これでもなく。 Bob Dylan は、アタシは、一体何なんでしょう。
ところで、俳優のHeath Ledgerが一昨日亡くなりました。彼もI’m Not Thereで Bob Dylan を演じた一人です。Ang Lee 監督の Brokeback Mountainでも彼の演技には泣かされました。残念です。